完全攻略!ベートーベン
メトロノーム楽譜
 
 

ベートーヴェンの三大ピアノソナタ

チェンバロベートーベンは、鍵盤楽器の主流がチェンバロからピアノに移行する時期に活躍した音楽家の一人であるといえます。ベートーベンの一世代前の音楽家であるバッハは、ピアノをあまり高く評価していなかったことがわかっています。初期のピアノは高音域が弱く、音量も安定していなかったため、大きくない部屋の中で演奏される楽器として認知されていました。このように、コンサートホールではなく邸内で演奏されることを前提とした音楽を「ソナタ」といいます。


三大ピアノソナタ

ピアノソナタは、初期のピアノの性能ゆえに必然的に生まれた形式の楽曲であるといえます。17世紀に開発された初期のピアノは、現在のピアノと構造が違うので広い部屋で演奏すると音が十分に届かなくなる代物であったようです。十分な音量と高音域が確保された現在のものに近いピアノは、ベートーベンが難聴を自覚した時期に作られるようになったということなので、1800年代まではピアノは貴族などの富裕階級が使う内輪向けの楽器であったといえます。

ベートーベンとピアノの関係

ピアノベートーベンとピアノは、切っても切り離せない関係にあるといえます。ベートーベンが父ヨハンによって施された音楽教育は、ピアノの猛レッスンだったといわれています。これは、モーツァルトが宮廷や貴族を回ってピアノ演奏を行って好評を得ていたことに着想を得たといえますが、この当時「ピアノを持っている家庭=自由に音楽を楽しめる富裕階級」であったからなのです。ベートーベンの時代には、現在のように一般家庭にも置けるようなアップライトピアノは存在していなかったのです。父からのピアノレッスンで、音楽家としてのキャリアを積んでいったベートーベンは、生涯に35曲のピアノソナタを作曲し、ピアノを使用する楽曲を30曲近くも作曲しています。ベートーベンを音楽家に育てたのがピアノなら、ピアノはベートーベンにもっとも愛された楽器なのです。

三大ピアノソナタとは

ベートーベンは番号付きのピアノソナタを全部で32曲も作曲していますが、その中でも特に第八番「悲愴」・第十四番「月光」・第二十三番「熱情」を「ベートーベンの三大ピアノソナタ」と呼んでいます。しかし、この通称と組み合わせは生前のベートーベンが決めたものではありません。レコード会社によって、抱き合わせにされたものが「三大ピアノソナタ」の正体なのです。しかし、営業上の意図を抜きにしてもこの三曲のピアノソナタは、32曲のピアノソナタの中でも上位に位置する完成度と内容を持った曲であるのは確かなのです。

三大ピアノソナタの曲調とは

三大ピアノソナタは、それぞれまったく違うタイトルと曲調を与えられた楽曲になっています。それはまるで、ベートーベンがピアノの持つ表現力の可能性を見極めるためのようにも感じられます。

ピアノソナタ第八番「悲愴」

ピアノソナタ第八番「悲愴」は、1798年に作曲されました。この時期は、ベートーベンが難聴を自覚した時期であることは有名です。ともすれば、「悲愴とは音楽家の命である聴覚を失うことを悲しんだベートーベンの魂の発露である」という解釈をしてしまいますが、その曲調は「ベートーベンの個人的な悲しみ」ではなく、「人生の様々な場面で襲い来る悲しみに揺れ動く人間の感情」そのものを表現するかのような緩急入り混じったテンポを持っています。そもそもタイトルの「悲愴」というのは「深い悲しみ」を意味しています。悲しみが深いと、どれだけ時間が経ってもその悲しみを何かの拍子で思い出してしまうものです。つまり緩やかなテンポが甦る悲しみを表現し、激しいテンポが悲しみを忘れていた時期を表現していると捉えることが出来ます。

数少ないベートーベン自身の命名

「悲愴」というタイトルは、ベートーベン自身がつけた標題です。ベートーベンは自分の楽曲にタイトルをほとんどつけなかったことは有名です。「悲愴」は標題を楽曲のテーマとする「標題音楽」というジャンルなので、ベートーベンによってタイトルを与えられているのです。つまり、「悲愴」の曲調はベートーベン自身が考える「悲しみ」を表現したものなのです。

ピアノソナタ第十四番「月光」

1801年に作曲されたピアノソナタ第十四番「月光」は、ベートーベンの恋愛遍歴でも有名な楽曲です。当時、ベートーベンがピアノを教えていた伯爵令嬢のジュリエッタ・グイチャルディに捧げるために作曲したものの、失恋してしまったというエピソードが伝えられています。「月光」の題名は、ロマン派の詩人ルートヴィヒ・レルシュタープによって後に付けられたもので、ベートーベンは「幻想曲風ソナタ」として発表しています。この二つの題名をあわせて「月光ソナタ」と呼ばれることもあります。

ピアノソナタ第14番「月光」の曲調

月光「月光」は、命名者となったレルシュタープの「湖上の小船が月光の起こした波に揺らいでいるようだ」という言葉の通り、静かな月の夜と寄せては返す波の音を思わせる非現実的な情景を想起させる曲調を持っています。あくまでも静かに、夜を騒がせないように情感たっぷりに奏でられるメロディは、聴くものに心の安らぎを与えてくれるのです。第二楽章以降はがらりと様相が変わります。元々片思いの相手のために書かれた幻想曲で、「月光」の由来となったのはレルシュタープによる第一楽章の感想なので、大きく変化するのは必然といえるかもしれません。第二楽章からは、まるでベートーベンの恋する胸の内が晒されているような、舞曲が展開していきます。このように、静・動・動という「序破急」の流れで進行していくスタイルのピアノソナタは当時としても画期的なものだったのです。

ピアノソナタ第二十三番「熱情」

ピアノソナタ第二十三番「熱情」は、1804年以降の「傑作の森」時代に作曲されたピアノソナタです。「熱情」というタイトルは、ベートーベン自身によるものではなく楽譜の出版社が付けたものなのですが、内容そのものを的確に表現した言葉であるため定着し現在に至っています。日本では、「熱情」ではなく「情熱」と訳されていることもありますが、「情熱」ではありふれた言葉すぎて的確な訳であるとはいえないほど、密度の濃いピアノソナタとなっています。「情熱」だと「発展途上の若者が抱く大志」のような青臭さがあるのに対し、「熱情」では「絶えず燃え続ける炎のような思い」が感じられます。優れた名曲には、タイトルにふさわしい言葉が必ずあるのです。

ピアノソナタ第二十三番「熱情」の曲調

楽譜「熱情」は、まるでピアニストの指先から炎が燃え上がるような激しいメロディを持っています。冒頭は「月光」のような「序破急」を思わせるのですが、主旋律に入ると同時に最初から最後までクライマックスといえるほどの盛り上がりを見せます。「本当の熱情というものは、炎のように揺らめきながらも決して消えることはないものである」とばかりに強弱を付けた旋律は、まさしく「ベートーベンの三大ピアノソナタ」にふさわしい快作であるといえます。ベートーベンは、「熱情」を作曲した後は「傑作の森」時代にあってもピアノソナタを作曲しませんでした。1809年に第二十四番嬰ヘ長調「テレーゼ」を作曲するまで、ピアノソナタから手を引いたのです。そういった意味で、「熱情」はベートーベンのピアノソナタの最高傑作であるといえます。


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