完全攻略!ベートーベン
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交響曲第九番

2006年、二つの映画が公開されました。一つはベートーベンと女性写譜師の交流を描く「敬愛なるベートーベン」、もう一つは史実に基づき第一次世界大戦で旧日本軍の捕虜となったドイツ軍兵士の交流を描いた「バルトの楽園」です。この二つの映画は、あるベートーベンの楽曲をストーリーの主軸においています。その楽曲こそが交響曲第九番なのです。


交響曲第九番

交響曲第九番は、ベートーベン晩年の1824年に完成したベートーベン最後の交響曲です。交響曲第九番の最大の特徴は、合唱を取り入れていることです。そもそも声楽と交響曲は交わらないものと長年考えられてきましたが、ベートーベンによって一般的な形に仕上げたのです。交響曲第九番は日本では「第九」と呼ばれ、年末の風物詩としても親しまれています。

第九最大の特徴「歓喜の歌」

「第九」といえば最初に思い浮かぶのが、「歓喜の歌」ではないでしょうか。「歓喜の歌」の歌詞は、全てがベートーベンの作詞ではありません。元々はドイツを代表する作家の一人であるフリードリヒ・フォン・シラーによって書かれた「歓喜に寄す」という詩を元にして、ベートーベンが編集したものを使用しています。ベートーベンは冒頭の「おお友よ、このような音ではなく心地よい歓喜に満ちた歌を歌おう」の部分を書き足しただけなのです。

「歓喜の歌」=第九?

CD毎年のように各地で第九が日本語訳詞か原語のドイツ語詞で歌われているため、第九とは「歓喜の歌」そのものを指すと誤解している人も多いのではないでしょうか。実際のところ、「歓喜の歌」のパートは最後の第四楽章のクライマックス部分です。第九を第一楽章から通しで演奏していくと、全体で大体75分前後かかることはCDの長さを決める話などで有名な事実です。つまり、75分の3分の2を過ぎた頃に合唱パートの出番が回ってくるのです。ただ、日本の場合は第九の演奏会自体がイベントとなっているので第一楽章から通しで演奏される機会はほとんど無いといっても過言ではなく、「歓喜の歌」のパートだけを編集したものを「第九」として演奏することが多いだけなのです。

「歓喜の歌」は無くなるかもしれなかった

ワーグナーベートーベンの伝記では、第九の初演は大成功を収め難聴の進行で耳がほとんど聞こえなくなっていたベートーベンは助手に促されるまで聴衆が大声援を送っていることに気がつかなかったという記述がなされています。しかし、実際には第九は初演こそ成功であったものの合唱を取り入れた第四楽章が理解されず、第一楽章から第三楽章までが演奏されていたのです。「歓喜の歌」を含む第四楽章の不遇は、ベートーベン自身も気にかけていたようで器楽曲としての再構成を図っていた形跡が散見されています。最終的に第四楽章と「歓喜の歌」は、ワーグナーによる新解釈が加えられたことによって再評価の機運が高まり、現代に残されているのです。

日本と第九の関係

徳島県日本において、第九が初演奏されたのは第一世界大戦真っ只中の1918年のことです。当時の日本軍は、ドイツがアジア方面の橋頭堡として押さえていた青島を攻略し5000人近くのドイツ人兵士を捕虜としたのです。そのうちの1000名が現在の徳島県鳴門市に作られた「坂東俘虜収容所」に送られ、終戦までをすごしました。この収容所の所長を務めた松江豊寿(まつえ・とよひさ)は人道に則った扱いを行い、現地の住民とドイツ人の間の交流を促進させたのです。後にスイスに移されたドイツ人捕虜たちは「松江ほど素晴らしい捕虜収容所の所長はいない」と評しています。この時、ドイツ人捕虜によって結成されたオーケストラによって1918年6月1日に、日本で初めての第九演奏が行われたのです。このエピソードが、前述の映画「バルトの楽園」の元になっているのです。

第九とドイツ

ベルリンの壁第九は、戦後の世界においては「自由と平和の象徴」として世界各地で演奏されてきました。第二次世界大戦後再開された、ワーグナーが興したバイロイト音楽祭で最初に演奏されたのは第九であるのは有名な話です。この瞬間からドイツの戦後復興において、第九は欠かせない楽曲として演奏されていきます。1989年のベルリンの壁崩壊に際しては、ドイツ語で歓喜を意味する「Freude」を、自由を意味する「Freiheit」に変えて歌われるなど、ドイツの歴史の節目で歌われています。現在、EU(欧州連合)の歌として「歓喜の歌」を採用する動きがあります。

交響曲第九番全体の曲調

交響曲第九番は、どうしても「歓喜の歌」だけがクローズアップされることが多いのですが、第一楽章から通して繰り返し聴くと新しい驚きを発見できる、素晴らしい楽曲であるといえます。第一楽章の冒頭ではテレビCMなどでも使用されるフレーズが提示され、トレモロなどの反復演奏によって内容がどんどんと膨らんでいきます。第九は、第一楽章からクライマックスとなる「歓喜の歌」への伏線が張り巡らされていくという、計算された構成になっています。弦楽器の軽やかで心地よい音の重ね方や、管楽器によるメロディの盛り上げ方など、まさにベートーベンの作風の集大成であるといえます。「歓喜の歌」自体は単品でも十分に素晴らしい楽曲であるといえますが、時間を掛けて第一楽章から通しで聴くことでその魅力は何倍にも高まるのです。

交響曲第九番の意図とは

日本では、憲法第九条と第九を関連付けたコンサートを開く団体などがありますが、ベートーベンはそんな矮小な目的のために第九を作曲したわけではありません。ベートーベンが第九に込めたのは、シラーの「歓喜に喜す」に込められた「友人や愛する人のいる人生の素晴らしさ」なのです。ベートーベンは癇癪もちではありましたが、交流を深めた友人も不滅の恋人もいましたし、音楽と難聴を通して生きていることの素晴らしさを知っているのです。だからこそ、200年近くも人々に受け継がれる不滅の音楽となった第九を作曲できたのではないでしょうか。


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